とくなが

 「小児歯科専門医になって」
  2008/5/20

 
歯科界にどっぷりと浸かって、半世紀になろうとしている。1963年(昭和38年)、歯科の大学に入学してから、早や45年。大学に入って、すぐに、私は「小児歯科」を自分の一生のライフワークと決めた。将来の方向付けがこんなに早く決めることが出来たのは幸運であった。歯科の世界を全く知らない私(親は国家公務員)にとって、昭和40年台当初の子どもの口の中が「むし歯の洪水」と言われるほどひどい状態であることを全く知らなかった。どの子の前歯も散々たるもので、むし歯でほとんど無かった。“みそっ歯”と言われていた。現代の子どもたちにはほとんど見られない現状である。“どうせ乳歯は生え変わる”と、親だけでなく、当時の歯科医師も厚生省(現厚生労働省)も思っていたようだ。当時、そんな状態で、将来の歯科医療が良くなるとは到底思えなかった私は『小児歯科医になろう!』と決めた。19歳。“東京オリンピック”のあった年である。

1969年(昭和44年)、大学卒業と同時に、財)ライオン歯科衛生研究所付属ライオンファミリー歯科診療所に勤務し、小児歯科専門医となった。世の中、ほとんど、小児歯科には関心が無く、理解を得ることのほとんど無かった頃である。
    

1974年(昭和49年)、第1次オイルショックが勃発したちょうどその時期に、大阪、東三国から端を発し、全国に広がった「歯の110番」はマスコミから“歯医者バッシング!”歯科界は大騒ぎになった。 そこで、厚生省もようやく乳歯の大切さを見直し、小児歯科に着目してくれるようになった。保護者の意識改善と歯科医師・厚生省の反省が効を奏した結果であろうか、子どもの口の中からむし歯は見る見るうちに減少しだした。

近年、日本において「過食の時代」、「飽食の時代」と言われて久しい。その環境の変化が一番最初に現れて来るのが子どもたちだ。マスコミはむし歯の減りだした子ども達の口の中には不正咬合、歯肉炎、歯周病、顎関節症等などが増加してきたことを話題にしだした。

1979年(昭和54年)、川西市でとくなが小児歯科クリニック“レオ”を開業。開業当初から初 診の保護者に「母親教室」(院長の“独演会”)を毎週水曜日、2時間、無料で開催している。内容としては「歯の大切さ」を単にむし歯予防や歯並びだけに限定せず、現代の食習慣のひずみから、将来早期に起こりうる「生活習慣病」を未然に防ぐために「噛むことの大切さ」などを、広範囲の事例を織り交ぜながら“ねちっこく”話をしてきた。母親教室は29年間、その数、1,160回(平成20年2月1日現在:参加人数:約6500人以上)を数える。“継続は力なり!” それが子育ての何らかのヒントになるようにと願って・・・・・・。

私は今、ロータリアンとして、自分の職業を振り返ってみて、まさしく「職業奉仕」をしてきたと自負している。私にとって小児歯科は“飽きない仕事”である。これぞ商い(あきない)!!

 平成20年5月       
国際ロータリー2680地区川西ロータリークラブ 投稿記事より

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